ミニマムパオのニートな日常

再受験・ニート生活を通して思ったこと感じたことを書いていきます。

将来の不安を一瞬で消す秘訣。何をしたいかではなくどうありたいかを考える。

よく自分も他人と比較して、何なにができていないから自分はダメなんだとか、目標とする大学に受かってないから自分はダメだとか、年収が低いからダメだとか「何をした」か、「何を達成している」かで自分の良し悪しを考えていた。

別にいいんだけどさ。

基準として分かりやすいし。

具体的だから、むしろそういう考えの方がいいのかもしれないよ。

でも、俺はそういう考えを持っていたから将来の漠然とした不安から逃れられなかったのは事実なのよ。

だって、どんどんやらなきゃいけないことが出てくるんだもん。

年収300万いったら400万じゃなきゃダメって考えが出てくるし、いい大学に入ったってさらに上の大学と比べて自分はダメだってなるし、結婚していないからダメだってなるし、子供ができたらできたで今度はやれてなきゃいけないことが無限に出てくるし、終わりがないのよ。何を達成できてないかで考えていたら。

まあ、確かにこれがゲームだったら、そう簡単にトロフィーコンプリートできないからすごい楽しいのかもしれないけどさ。

人生をゲームとして捉えるのは、今の俺には難しい。

それで達成できていないことを数えては、ダメな自分と落ち込んで人生に絶望する。

でも、ある時考えたわけさ。

自分って達成できてないこととか色々考えているけど、そもそも人としてどうありたいのかって。

そうすると今までの自分って全然いい方向に行ってなかったことに気づけたのよ。

いい意味で。

だってさ、何かを達成してないのがダメなやつみたいな考えって自分だけじゃなく他人にも当てはめていけちゃうじゃん。

他人を見て、あの人はあの仕事をしているからだめ、年収がいくらないからダメ、何々の大学を出てないからダメってどんどん否定しているのとおんなじような気がしてきたのよ。

人としてどうありたいかを考えた時に、いちいち人を勝手な基準で判定してダメな烙印を押すやつってなんかやだなぁと思ったわけですよ。

俺が昔から憧れているのってドラゴンボール孫悟空とかベジータとか、ワンピースのルフィとか、ハンターハンターのジンとかゲームのキャラとか、そういう自分の限界を極め続けるために、周りなんか気にせず努力できるキャラクターなんよ。

言う?ワンピースのルフィが「おめえ、何々大学出てないから船降りろ」って。

ドラゴンボールの悟空が「オラ、年収400万以下の負け組とは闘いたくねぇ』って。

絶対言わないだろ。

てか、そもそもジャンプ主人公たちって他人を良い奴悪い奴みたいな区別をするようなことそもそもしないし、絶望している奴がいてもむしろ奮い立たせてくれるようなことするじゃん。

てか、悟空とかルフィからしたら他人の経歴なんてどうでもいいだろ。

フリーザ仲間にしたり、一度死んでるガイコツ仲間にするような奴らだぜ。

トナカイ仲間にしたりとか。

そういう奴らに俺は憧れているのよ。

俺が言いたいのは、何をしたいかじゃなくどうありたいかに目を向けた方がいいんじゃないかということ。

悟空も確かに「強い奴と戦いたい」っていうしたいことを掲げていることが多いけど、それは「自分の限界を極め続けていたい」というどうありたいかという思いがあってだし(ベジータカカロットはそういう奴だ的な感じで言ってただけで本人に確認したわけではない)ルフィだってワンピースを手に入れたいというよりかは「この海で一番自由な奴(海賊王)でありたい」みたいな思いがあって海賊やってるわけだし。

それぞれどうありたいかが明確なのよ。

そこで自分も考えてみたわけ。

自分はどうありたいのか。

色々達成できてないこと数えているけど、そもそも自分はなんでそれを達成したいのかを。

最初はそれが全くわからなかった。

色々達成したいことがあるけどそれって他人から見て恥ずかしくないからそれを目指していたみたいな感じで、自分がやりたいこととは全く無関係なのよ。(もしかしたら、それを達成することでありたい自分みたいのがあるのかも)

中学生の頃は明確だったよ。

まず、悟空と同じで自分の限界を極め続けられる人になりたかった。

そしてどうありたいかだけでなく、何をしたいかも明確だった。

自分はずっとゲームに関係することがしたかった。

ゲーム実況者でも、ゲームプログラマーでも、ずっとゲームに関係したことをして生きていきたかった。

これらが明確だった時は毎日が本当に楽しかった。

ただ、それらのことにも根本となる自分の経験みたいなのがあるんだけど。

当時はそういうものに憧れているんだと思ってた。

でも、歳をとるごとに変わっていった。

現実が見えたとかそういうわけじゃない。そもそも現実が見えるほどやり込んでいない。

単純にゲームへの熱が冷めてきたのだ。

昔は一日中ゲームをしていた。

でも、今は友達と遊ぶ時ぐらいしかゲームをやらない。

明らかに昔に比べて、その世界への憧れが減っていった。

ゲームをやっていて楽しいと感じる時間が減ったのだ。

それからだ。

俺の人生が明らかにつまらなくなったのは。

ゲームという恋人を失い、俺は何のために生きているのかわからなくなった。

でも、年月がたってあることに気づいたのだ。

俺がゲームを楽しめなくなった理由って、ゲームをそもそも楽しもうとしていないからじゃないかって。

いや、正確には違う。

けど、ゲームに色々なものを求めすぎているんだ。

昔はただなんとなくやることがないから、ゲーム屋にお父さんに連れて行ってもらって、面白そうなゲームをなんとなくやる。

そしてやっているうちにどんどんのめり込んでいって、そのゲームを好きになる。

今みたいなゲームが自分の生きがいだとか変なプライドは一切なかった。

ただ、できることもないしなんとなくゲームやって、それが楽しかっただけ。

深い理由なんてないのだ。

ただ楽しいからやる。

それを思い出した時、あるゲームを手にとってみた。

FINAL FANTASY Ⅶ REMAKE」というゲームだった。

最初は本当にただなんとなく人気のゲームだからという理由だった。

ゲームをやってみてストーリーがいいなと思ったし、何より主人公のクラウドがとても魅力的だと思った。

気づくと夜の7時から朝の7時、12時間ぶっ通しでやっていた。

ゲーム機が熱くなりすぎて、カセットをなぜか吐き出して壊れるということが起きなければ多分20時間くらいやっていたと思う。

悲しいことにオートセーブのところからやり直しと、ps4が修理に出さなきゃ一定時間するとカセットを吐き出す子になってしまった。

でも、やってよかったと思っている。

やってみて色々なことを思い出した。

自分がどうありたいか。

俺がなぜゲームが好きなのか。

自分は昔から厨二病で、ゲームの中のキャラがとにかく大好きだった。

どんな逆境で、心が折れても何度でも立ち上がる姿。

そんなあり得ないだろという過酷な運命にすら、何度も何度も挑み続けていく姿勢が本当にカッコ良かった。

俺が悟空だったり、ゲームのキャラが好きな理由がなんとなくわかった。

うまく言葉では言い表せないんだけど、とにかくこう、すごい漠然とした言い方だが、

その世界に真剣なのだ。

真剣に生きている(ゲームとか漫画の世界だけど)

手を抜くとかそういうことをしてないというかなんというか。

なんか現代人にない何かを持っているというか。

すごい真面目なんだよね。

その問題自分で解決する?みたいな。

倒せない敵が現れた時も絶対諦めずに熟考するじゃん。

なんかそういう真剣な姿がすごいこの世界を生きているなって感じさせてくれるし、自分もそうやって真剣になれるような人でありたいみたいに思ったのだ。

今の自分ってなんか死んでるみたいなんだよね。

なんか問題があっても、他人任せだし。

自分の人生をネットの誰かもわからない人の言葉に委ねちゃいそうになるし。

家にこもってなんの行動もしないから、イベントとか一切発生しないし。

なんか話が脱線しまくっている気がする。

まあ、不安を一瞬で消す方法としては、憧れている人やキャラの生き方というか存在の仕方を真似てみるみたいな。

こういうことを成し遂げてるとかそういうことじゃなくて、こういうことがあった時、この人ならこう考えるよねとか。

今の自分の立場にあのキャラが転生したら、どういう考えでどういう行動をして生きていくかなみたいな。

そういう視点を持てると一気に不安がなくなると思うよ。

指針ができるだもん。

生き方に。

あの人ならこうするって。

それか理想の自分ならどう考えるかとかも考えてみるといいかも。

なりたい自分なら、この立場になったらどういうこと考えるだろとかどういうこと言うだろみたいな。

言いたいこと伝わっているかな。

ごめんよ。文章下手で。

とにかく不安を消す方法については自分も今度いっぱい書くよ。

それではまた。